3.11 東北地方太平洋沖地震

感想はだいたいちきりんさんと同じ。


地震が起きたとき僕は出張で茨城県日立市に来ていた。


地震が起きて、バタバタパソコンのディスプレイが倒れて、建物がギシギシ言った。ニュージーランドや阪神大震災の事が頭をよぎった。揺れが収まる頃には停電してしまって、UPSがピーピーうるさかった。


外に出て、しばらく何もできずにいた。Twitterで情報集めると、宮城県沖で地震が発生したことがわかった。津波がくることもわかった。とりあえず電車はしばらく動かないので、食料をコンビニに買いにいった。まっくらなか、コンビニは人でいっぱいだった。おにぎりやパンはほとんど売り切れだった。


その日は、ホテルもいっぱいでロビーのイスで一泊。夜の余震はやっぱり怖かった。ホテルでは夕食を無料で振舞っていた。暖かい料理が身にしみた。


翌日はどうやって帰ろうか考えてたけど、まずは水と食料を確保しようと駅前のイトーヨーカドーに行くと大行列。一時間待ってなんとか買うことができた。


その後タクシーを3時間待って、僕も含めた4人でタクシーあいのりして「行けるところまで!」と日立を出発。9時間経ってようやく常磐線取手駅到着。国道6号は死にそうに混んでた。タクシーの運転手さんにお礼を言って。電車に乗ってようやく帰宅。


一連の出来事で感動したのは、パニックが全くなかったこと、しかもみんなで助けあっていたこと。


コンビニ行くときは出張先の社長さんが「とりあえず食料と水を買って来い!いくらでもいい、会社で持つから」」と言ってくれたし、コンビニでもイトーヨーカドーでもみんな順番を待って買い物をしてたし、イトーヨーカドーなんて安売りしてたwww、笑えたけど、働いていいる人を見ると感動して泣けてきた。ホテルの人は、宿泊客でない人にも、食事や毛布を提供したり、停電して自家発電してそんなに電力に余裕ないはずなのに、携帯充電用の電力を提供してくれた。仕舞には「もう発電用の燃料がありません、私たちでできることはもうないと思われます」とギブアップ宣言。ちょっとお人よしwww。タクシーの営業所でもみんなで雑談しながら、情報交換したり、みんなで緊張をやわらげようと気を使っているのがわかった。


福島、宮城、岩手にくらべれば被害は少ない茨城県だけど、M9.0で震度6強の地震がおきたのにパニックもなく、小売店がひとつも襲撃されてないなんてミラクルだよね、明らかに限られた水や食料を求めて、行儀良く行列つくってるなんて信じられないよね。自分にも家族や生活があるのにそれでも他人のために働けるって感動だよね。日本ってすごいよね。この国は大丈夫だ。そんなことを自然と思えた。


もっていればよかったなーて思ったのは「電池式の携帯の充電器」。冷静な判断と行動には情報が必要。情報に関して言えばtwitterは強力、通話やメールが使えなくても常にtwitterだけは使えた。ただし情報の取捨選択能力は必要。
もっていてよかったのが現金。これは水にも食料にも電池にも変換できるから。

これから出張時にはこの二つを必ず持ち歩くだろう。


最後に、
直接的な被害を受けた人たちには、これから被害の実態がわかってきていろんな希望が打つ砕かれるかもしれない。でも、いつかは前を向いて新たな希望に向かって欲しい。みんなが助けてくれるから。